『舞姫通信』重松清著 新潮社刊


さらにもう1冊読み上げてしまった、ひょっとしたら記録かもしれんな、と思ったりもした。しかし、ちょっとテーマが重かったのでやっちまったなあ、夜読むんじゃなかったと思った。消化しきれないけれども、レビューしてみようと思う。


人の生命のカーテンコールは、ラストシーンは、いつ始まるのか、「いつか」ではなく「いま」であり、それは現在進行形なのかもしれない。少なくとも、死んだ彼らにとって、また死を思った彼らにとって、10代もまた晩年であったのだ。


宏海は、ある高校に教師として赴任し、奇妙なモノに直面することとなった。その奇妙なモノとは「舞姫通信」であり、誰が書いたとも知れず、ある時期を契機に発行され続け、知らぬ間にそっと教室に置かれ、生徒達にメッセージを送るのだった。舞姫とはその優雅な名とはかけ離れたもので、幾年も前に自殺した生徒のことだった。その生徒は、教室から飛び降りる時、ひらひらと綺麗に舞った。


空に舞う舞姫を、私たちは愛します―
地に横たわる舞姫を、私たちは愛します―


舞姫通信の終わりはこう締めくくられている。宏海の手を何かとやいてくれている年配教師の原島はこの自殺を賛美するかのような舞姫通信を嫌悪し、回収して自ら刻み処分していた。宏海の見た舞姫通信、舞姫と呼ばれた自殺した生徒、彼女は何の理由も残すことなく、何かから自分を解き放つかのように、また泥沼に足を取られていくかのように、身を宙へと委ねた、舞姫はなぜ死んだのか、その苦悩は彼の中にもあった。彼の兄であり陸男もまた、何の理由もなく自殺していたのであった。陸男の彼女であった佐智子は、未だにその事実から抜け出すことができずに悩んでいた、芸能界で腕利きのマネージャーとして名を上げても、プロデュースするアイドルは不幸な人物ばかり、佐智子はなぜ陸男が死んだか探し求めるかのように「城真吾」という自殺未遂の青年をプロデュースしようとする。自殺を求める彼を辿ることで、佐智子は何かを埋めようと考えているのかもしれない。


城真吾が世の中に放ったメッセージは強烈なものだった、人はいつか死ぬ、いつでも晩年である、もしかしたらそれは生まれた時から始まっている、そして彼は自殺をテーマにしたパネルディスカッションの会場で宣言する、死ぬことを目的に生きると、かくして彼を巡る狂騒が始まる。一方で舞姫通信も彼のことを伝え始める、人はなぜ生きるのか、いや死ねないのか、その命題を巡り、舞姫通信は様々な人々の思いを手繰り寄せていく―


最後までストーリー書かなかったのはですね、まあ消化し切れなかったんですよ、作者のメッセージを書いてもそれはつまんないでしょうし、自分が生き死にを書いても若者のナルシズムっていうのか、ありがちなものにしかならないような気がして、ぜひ読んでもらって「死」とは何か、考えてみてもいいんだと思います。考えなくてもいい気もします、「死」を意識しながら生きるなってけったくそ悪いことする必要もありません。そりゃ考える暇なくその瞬間は訪れるかもしれませんが、生きてればいずれ向き合うことになることです。ただ物語のなかで印象に残ったことは、人間は常に「ラストシーン」を生きている、この世に生を受けた瞬間から、死に向かって歩みを刻んでいる、いずれ死ぬならなぜ生きてなければいかんのか、そんな考えたクモない命題を、突きつけてきたりする作品です。深夜に読まない方がいいです、妙な気分になります、はい。


やーよく読んだ、もう主食ですよ本が、えらいこってす。こんな脳みそばっか使うよりも、日雇い労働でもしてどろどろになるまで体動かしますよ夏休みは、昔から夏は煩悶に陥ることが多いもんで、あんまりじっとしてるのは得策ではないです。