『司馬遼太郎が考えたこと2』司馬遼太郎著 新潮社刊


民族学を終え、友人の作文を添削アドバイスし、ゼミ協の後輩の相談にのって帰ってきたわけです。新聞も朝刊1紙夕刊2紙消化、そして本著を読み終えたというわけです。今回は司馬遼太郎が作家として完全に独立し、旺盛な執筆活動を始めた時期です、新撰組について書いている時期ですね、「燃えよ剣」とか―


だらだらと内容を連ねても面白くないのでいくつか面白いエッセイをピックアップすることにします。


新撰組」―燃えよ剣を書く前に書かれたエッセイで、面白いと思ったのは近藤勇は果たして本当に幕府に忠誠を誓っていたか、ということに言及している。京都守護職お抱えとなり、一応武士としての体裁を保った近藤たちは能動的に行動していくわけだが、大阪の町で奉行所の有名な与力である内山ともめてしまう、問題は内山が彼らを浪人として処分したことであり、近藤は憤懣やるかたなく、京都に帰ってから部下に内山を切り殺すように命令し、事実そうなってしまう。司馬遼太郎はここで、近藤の中にあったのは幕府への忠誠や世の中への憂いよりも、武士という身分への憧憬と自らが農民であるという劣等感であったと喝破する。


「軍神・西住戦車長」―昭和の軍神を取り上げてみる、戦意高揚の為に喧伝された軍神という存在は、特に昭和に至ってはひどく矮小なものになってしまっていたことを司馬は語っている。軍神とされた西住戦車長は、日露戦争で軍神とされた広瀬と比べてなんら凡人と変わりない人物で、ただただ真面目な人であったという。しかし、戦車という特殊な兵器を宣伝し、日本人を鼓舞したかった軍部は西住を軍神として喧伝する。昭和の軍部は軍神を作ることすらへただったと司馬遼太郎は皮肉交じりに語る。


「上方の三郡」―主に神戸について書いた作品、神戸支局あがりは社会部、京都支局あがりは文芸部、そんな新聞社におけるジンクスを紹介しながら、神戸という比較的新しく完成した都市について語っていく。この他にも司馬遼太郎は神戸・京都・大阪について多く語っている、その都市に対する見方を堪能するだけでも十分に面白い。いわば司馬流の都市学とでもいえると思う。


「私と管理者教育」―司馬遼太郎が新聞社を退社する直前に受けた管理者研修について言及している、始めはへそを曲げて受けていたが、そのうち立派な管理者になった気分になったというのが面白い。人の上に立つ気がないならそういう生き方をまた考えていくべきだというのは、サラリーマンにとってある意味至言である気もする。こういう生き方を論みたいなのもあって面白い。


と、上げただけでも多種多彩なんですが、こんなのが100編近くある。読み応えはありますし、小説みたいに途中であきたらポイってこともないので、気ままに少しずつ楽しんでみたらどうでしょうか。