【雑記】銭湯考


最近よく銭湯に行く。そういうと「風呂がないのか」と問われるがそうではない。風呂はある、ユニットバスだが少し広めのやつがある。それに入ればいいやん、と言われても仕方がないのだが、銭湯に行く、いやいかねば気が納まらない。


そもそも筆者は俗に言う「カラスの行水」よろしく風呂が短い、たぶん湯船には3分くらいしか入っていない、これを聞けばますます銭湯に行くのが無駄に思えてくる。しかし銭湯というのはただ風呂に入るだけではない楽しさと言うのがある。


まずは「広い」ことである。湯船が広い、天井が広い、とにかく開放感がある。仕事が終わって突かれ切ったをわざわざ狭い自宅の風呂でさらに疲れさせる必要はない、仕事から解放されたことを感じることができるこの空間が重要なのだ。余談だが、4年間寮の共同風呂で過ごした筆者としては、広い風呂が当たり前になっているというのも理由としてあるだろう。


次に「会話」だ。おばちゃんの独特のイントネーションで発せられる「いらっしゃい」「お疲れ様」「おやすみなさい」はなぜか不思議と体がほぐれる。話したければ雑談にも気軽に応じてくれる、たぶん電話とかしっかりない頃はこういうところで日々の辛さを若い人たちが癒したりしたんだろうなと思う。


最後に「瓶牛乳」である。秋葉原のホームには牛乳バーみたいなのがあったりするが、それでも瓶のコーヒー牛乳とかフルーツ牛乳にお目にかかることはなかなかない。それをお決まりのように飲み干すのがうまい、たまらない。製造元はメグミルクだったりする、友人が東北で頑張っている会社だ。


日々を駆け抜ける、しかし時には銭湯で癒しを求めることも必要だったりする。