『箱根の坂(上・中・下)』司馬遼太郎著 講談社刊


昨日は内定先の懇親会がありました、なんと懇親会でこのブログを見ていた人を発見、悪いことはできないもんですねえ、異様にカウンターが回ってるのもそういう人が見ているからかもしれません。懇親会についてはまたちょっと後に書きます、忘れないうちに久しぶりに本について―


司馬遼太郎作品では少し珍しい部類に入る本作品、晩年の作品ということもあってか文体は落ち着いているように感じます。逆にいえば『峠』の時のような躍動感はないように感じますが、描こうとしている時代に対しての鋭い洞察が存在しているようにも思います。


主人公は「北条早雲」であり、始めのうちは伊勢新九郎長氏と名乗り、名家である伊勢家の一門としてありながらも実体は馬の鞍を作る職人のような生活をしている。それが長年田舎に預けられていた義妹である千萱が駿河の名門今川家に嫁ぎ当主である今川義忠の世継を生むことで彼の運命は回天する。


彼は興国寺城に根を張りながら今川家の争いを収め、伊豆の堀越公方の世継争いに介入し伊豆を手中に収め、相模の国を目指していく。既に齢60を越えている、駿河に来たときですら45、嫁を取ったのは55の時である、何たる晩成っぷりか。


彼の面白いところは、考え方が常に「農民」という下へ向いていること、そして「大義」を気にすること、時代は未だ戦国ではなく家の格式への配慮が厳然と存在する室町であって、戦をする場合には常にそれを考えている。そう考えながら、山城や加賀で起こった百姓一揆を聞いて新しい時代の息吹を感じている、新しい時代は「農民」やその農民達の上にある「国人」に目を向け彼らの信頼を勝ち得なければならない。


いつまでも上ばかり見て争う足利一門「将軍家」や「関東公方」「堀越公方」に怒りを露にする姿は、もっとも時代の進捗に敏感であらねばならない為政者が、権力争いに明け暮れて世の中に何も為そうとしない姿に、次第に自分だけでもと、あえて汚名をきながら戦国の世を切り開いていったのではないか。


こうみると戦国時代というのものは、さながら地獄のように言われるが、淀んだ空気が流れる室町時代より、激しいながらも清冽な新しい風が次々と流れ込んで、非常に良い時代であったのかもしれない、と思ったりもするのです。