『峠(中)』司馬遼太郎著 新潮社刊


天ニ翔リテ帰ベキカ
地ヲ潜リテ還ベキカ
帰路ノゴトキ
アエテ憂ウルニ足ラズ


河合継之助が支藩の家老達に江戸から長岡に帰る帰路を問われてこう答えている。既に大政は奉還され、錦の御旗は京の都に翻る、親藩譜代の大名ですら官軍に加わる中、河合継之助の牧野長岡藩は未だ態度を示していない。尊王でも佐幕でもなく、誰もが遭遇したこともない歴史の暗闇の中で、彼にはおぼろげに光がさしている。


「憂ウルニ足ラズ」の言葉に尊王か佐幕かという選択肢ではなく、第三の道をいこうとしている姿が見えている。藩内で鼻つまみ者扱いをされながらも、誰もが時代に対応しきれない中、彼は否応なしに家老の地位に押し上げられていったのである。


彼は怜悧冷徹に世の中を見つめている、もっとも武士らしい気概は持ちつつも、何一つ武士らしい気負はない、開明的にありながらも、立場は長岡藩家老の域からでない。その姿は矛盾している、しかし長岡藩家老という小国の宰相という立場と、誰よりも開明的な頭脳を持つことで、世の中の流れを色眼鏡なく、澄んだ目で見つめている。しかしそれほどの器量でありながら、長岡藩は官軍に敢然と立ち向かうことになる。


福沢諭吉が、冗談とはいえ作品の中で地球の宰相となれるとまでいわしめた「長岡藩宰相河合継之助」彼が迎えた最後は、彼が思ったとおりの道だったのだろうか。


司馬さんが楽しんで書いているのが伝わってくる、読んでいて非常に面白い。たかだか7万5千石という小国の宰相が官軍相手に何をなし、何を訴えようとしたのか、下巻が楽しみな次第。河合継之助は、太平洋戦争の連合艦隊司令長官山本五十六にも繋がっていく人物であるので、彼の生き様が日本に何らかの影響を与えたのかもしれない、そう考えると人の世とはなんと奇縁か、そう思うのです。