玉でなく石ころとして


『香乱記』に中で一番に気に入った言葉だ、歴史小説っていうのはこういう生き方を吸収していけるから好きだ。少しずつ蓄積したものは、いずれかの人生で糧になっていくことは悪くない。


「玉のような生きかたをすると、わずかな瑕にもおびえねばならない。石のようにごろごろと生きるのがよい」


任務に失敗し悲嘆している者に「田横」が言った言葉である、完璧な人生程傷がついた時に衝撃は大きい、瑕だらけの人生は辛いが、結果的に最後まで傷つくことを恐れなければ、最後まで命を全うすることができる。


「人は努力を忘れれば、いくら若くても、それからは老後である」


父である皇太子「扶蘇」の仇である二世皇帝「胡亥」と宦官「趙高」を討つことができなかった皇太子の遺児「蘭」が、未来を語る人物に対して悲嘆して言った言葉である。志を失えば心は衰え、顔からは生気が失われる、街を歩いている自分と同じ若い人たちが楽しそうに見えても、何か納得がいかないのはそういうことなのかも。夢がある自分は幸せだと思ってみる。これとよく似た言葉に曹操が言った「烈士暮年壮心不已」という言葉がある――


「男子がいちど志をもって自立したのであれば、死んでも他人に屈してはならない」


これ程重い言葉はない――「田横」が兄である「田栄」の不屈の心に接して感じたことである、これができる人が今の世の中にどれだけいようか、逆に言えば戦乱の世、命いくばくも無い時代でなければそういう気分にはなれないのかもしれない。死ぬことはなかなかなく、いつでもやり直しが効くが為に人生の時をいつも無限に感じる、有限であることに気が付かず、気が付いた頃には人生は終わっている、逆に言えばそこで曹操のいう「壮心」を取り戻すことができるかだろう。


さて、ついに秦も滅び・・・項羽と劉邦の間で如何に田横が立ちまわるのか楽しみな次第です。クロアチア戦まで『香乱記』の最終巻を読むとしましょう!