『1リットルの涙』木藤亜也著 幻冬社刊


ドラマでも話題になっているので、特に説明する必要はないと思う、少し古い作品ではあるが、決して色あせない生への思いを感じるので、ここに記したい。


著者である木藤亜也さんは、脊髄小脳変性症という病気であり、それは小脳や脊髄の運動を司る神経細胞が萎縮消滅していく難病である。根治の方法はなく、不治の病であるといってよい。


彼女は中学生でこれを発症し、高校は周りの助けも得ながら通うことになるが、病状の進行により養護学校に移ることになる、卒業後は働くことも考えたが、断念し在宅を余儀なくされる。やがて動くことは愚か、声すら発することができなくなっていく。


彼女自身の前向きな姿勢もさることながら、周りの努力にも敬意を表する。ただそれだけでこの作品は終わらず、病と向かい合う焦燥感や絶望感、家族とのすれ違い、魂の叫びともいえるような文章、人間は何の為に生かされるのか考えたくなるような文章がある。病と向かい合うことが、奇麗事ではなくて、ただ残酷で、とてつもない勇気が必要であるのだということを痛感させられる。それはセカチューの比ではない、愛する人が傍にいてくれるなんてことは現実ではなく、最後まで彼女と添い遂げたのは家族であり、病という拭いきれない絶望であり、生きたいという叫びであった。


次々と流れていく時の中で、次々と止まっていく自分を思い、彼女は何を訴えようとしたのか。


伝える、という重さを知る一冊である。


彼女が書いた最後の日記には「ア・リ・ガ・ト」と題字が付してある。


感謝の言葉すら満足に言うことができなくなった自分への悔しさがある、やはり人間は他人に何かを伝え、他人から何かを受け取る事で生きているのかもしれない、それすら絶たれようとしている彼女の詩がある。


人はそれぞれ言いしれぬ悩みがある
過去を思い出すと涙が出てきて困る
現実があまりにも残酷できびし過ぎて
夢さえ与えてくれない
将来を想像すると、また別の涙が流れる


涙しか流せなくなった彼女が、それでも世話をしてくれる周囲に感謝の気持ちを伝えようとしていたこと、人間はどれだけ辛くあっても、他人を思い人間らしくあれるのだということに、誇らしさを感じる。


また彼女の文章に書いて伝えるということの重さを感じる。