『硫黄島からの手紙』余談


クリントンイーストウッド監督による『硫黄島からの手紙』が注目を浴びている。『父親たちの星条旗』がアメリカ視点であったのに対して、『硫黄島からの手紙』は日本視点なので注目が高いのがよくわかる。注目はやはり渡辺謙が演じる「栗林忠道」だろう、いや栗林忠道を演じる「渡辺謙」であろうか。


この作品の中心的存在となる「栗林忠道」がどれだけ知られているかは疑問である、知らなくてもいいのだけれど知っておくと映画が楽しくなるような気もするので少しだけ紹介する。


栗林忠道は長野県松代出身、陸軍士官学校を経て駐米武官なども歴任し陸軍中将へ昇った際、硫黄島への赴任を命令される。『硫黄島から…』で着目されている、わずか数日で終わる戦いが1ヶ月続いた理由は、栗林本人の戦術眼もさることながら、駐米経験によるものも大きい。日米の国力の違いをよく認識し、冷静な戦術を取るに至った人物には往々にして駐米経験がある。海軍でいえば山口多聞であり山本五十六である。逆にいえば海外駐在をしてもそれを理解できなかった場合として東条英機の駐独経験がある、東条の場合は悲惨なドイツの国情を見ることで負けることへの恐怖が湧き上がり、さらにそこから勇ましく立ち上がろうとするナチスに見せられた。それぞれの海外経験が戦争に与える視点は重要である。結果、山口は開戦直前まで反対、山本は1年2年なら勝てると捨て鉢な発言、東条は精神論に頼るという結果になった。栗林の立場は海軍における山口多聞に近い、一国の国政を断ずることができない立場、野戦指揮官に甘んずる覚悟はありつつも、まっとうな死に場所の得られない苦しさ、山口はミッドウェーで三大空母が被弾大破した後、空母飛龍をもって反転攻撃を敢行するが戦果を上げつつも敗北、そこに死に場所を得ることになる。栗林も時間は違えども同じ道を歩んでいる、しかし玉砕華やかなりし時、彼はあきらめない、圧倒的物量を誇る米軍に勝つには…そう考えた栗林は冷静に野戦構築を行い持久戦術を取ったといえるだろう。


また栗林は非常に筆まめであることが語られている、表題に『硫黄島からの手紙』と書いてあるのもやはりそこからによるだろう。栗林の子どもに対する手紙には、多くの絵が描かれており様々なことが理解できるよう配慮がなされている、子どもへの愛情がよく伝わってくる。これについては先ほど対比した山口多聞もよく似ている、山口も非常に筆まめで、奥さんに対する手紙はもはやラブレターといってよい。最期はだいたい「あなただけのもの多聞よりわたしの愛しい愛しい孝子さんへ」というような閉め方だ、読んでいると真面目な内容でもかなり恥ずかしい。ただ軍人はどの人も押しなべて家族に対する愛情が強い、家庭が破綻している高名な軍人というのはあまり聞いたことがない。守る、戦うという意識はやはり愛情が支えになっていたのだろう。


と、正にとりとめもないが、少しでも勉強になれば幸い、知ってるなら読み流してください。やはり何かしら自分の知らないものを見る時は、少し知識の幅を広げていくと面白いかもしれませんよ。