『朽ちていった命―被爆治療83日間の記録―』NHK「東海村臨界事故」取材班著 新潮社刊


「死ぬ時はころっと死にてえな」苦しまずに死にたい、誰もが自分の死を考えてこんな言葉を吐いたことがあるはずである。人間にとって死ぬことはもっとも怖いこと、しかし必然として訪れるもの、どうせ死ぬなら痛みを感じることなく死にたい、しかし核の光はそれを許すことはなかった。


日本全国が震撼しつつも、何が起こったか理解できなかった東海村臨界事故、就職活動の最中話をした朝日新聞の記者の方が「この事故の時逃げる人の流れに逆らって走った」と言っていたのが妙に印象に残っている。理解はできなくとも起きてはならないことが「再び」起こってしまったのだと、誰もが感じたに違いない。


被害者である大内氏は治療開始当初は会話もでき陽気な性格もあって、医師や看護婦たちも見込みのない治療に戸惑いもあったが勇気を取り戻していく。しかし事態は必然的に悪化していく、中性子という魔物は徐々に大内氏の体の中を蝕んでいく。見分けがつかない程壊れた染色体、再生しない皮膚、自発呼吸の停止、押さえていた叫び「俺はモルモットじゃない!」医師や看護婦に深く突き刺さる。


1度の心停止を乗り越えて、それでも治療は続く。確実に死が迫っている患者に対する治療は医師や看護婦たちにやるせなさを漂わせている、緩慢に死に向かう1個の人間を目の前に、皮膚が爛れ人間でなくなっていく人間を目の前に、医師や看護婦は生きる意味を問い続ける。


予想を上回る83日の治療が幕を閉じる、中性子という見果てぬ化け物との闘いは何をもたらしたのか、誰にもわかりはしないが、ただこのような事態が核によって起きるのだという事実を認識しておかねばならない。今日どこぞの政調会長が「核についての議論を」という発言をしていたが、このような事実を知ってまでか、よく考えてもらいたいと思う。