『月光スイッチ』橋本紡著 角川書店「野性時代」収録


幸せの形は人それぞれで、誰もが満足する形なんてない。何か幸せそうで、何か悲しい、何か満ち足りてるようで、何か欠けている。


「香織」は大好きな「セイちゃん」と一ヶ月半だけ同じ屋根の下で暮らすことになる、彼の奥さんが実家に帰って出産している間だけの「新婚生活(仮)」を満喫することとなる。


香織とセイちゃんが出会う人々は、どこか欠けていて寂しそうでも、どこか満ち足りていて幸せそうに見える。劇的ではない何気ない出会いから、少しずつ香織の不安は大きくなる、幸せなのに幸せじゃない、確かに幸せなのに―


香織は押入れの中を落ち着く場所とする、他の場所を見るとどうしてもセイちゃんが奥さんと幸せそうに生活したり肌を合わせたりしているのを想像してしまうからだ。また街の中で出会った弥生と睦月という仲の良い姉弟のやりとりを見て自分とセイちゃんの関係では絶対に超えられない壁を感じたり、また母子家庭の子どもであるハナちゃんを、父親のところに連れて行って厳しい現実に直面したりして、自らの姿に向き合えなくなってくる、自然と押入れにいる時間が長くなる。闇だけが彼女を癒してくれる。


幸せは破綻する、セイちゃんの不倫を嗅ぎ付けた奥さんが戻ってきて、セイちゃんはあっさり香織を捨てる、おまけに手切れ金まで残す。幸せは嘘にように去っていく、でも確かに幸せだったんだよセイちゃん、と香織は語りかける。


ともすれば無気力になりがちな香織に、弥生や睦月が自分達が行っている路上ライブに出るように誘いをかける、始めは萎縮していた香りもやがてやってきたハナちゃんや知り合いの人々とともに、元気よく伸びやかに歌い始める。


今は悲しい、今までが幸せすぎてすごく悲しい、そう思って香織は涙が出そうになる。確かに幸せだったんだ、誰がどうではなく、確かに、そう思って香織は伸びやかに歌う、我侭だと思うけど、好きな気持ちは止められないから、そんな気持ちのように高らかに歌う、自分の為に、歌う。


久しぶりにゆっくり作品を読みました、一字一字ゆっくりと橋本紡の良さですね、急いで読んでしまう自分をゆっくりと読ませてくれて本当に嬉しい作品です。何が特別なわけではないどこにでもある話、不倫の話だったりするんだけど、全然ドロドロしていない、相手のセイちゃんは身勝手だし、香織もいけないことをしているのかもしれない、ハナちゃんの生まれだって結構不幸だったりする、それでも全部不幸なんてことはありえない、それ相応に幸せで、それ相応に寂しそうで、何かしら伸びやかに生きている、そう感じさせる不思議さがこの作品にはあります。


『流れ星が消えないうちに』はあまりにも綺麗な話し過ぎて現実感がない漢字でしたが、『ひかりをすくう』とこの作品はなかなかいいんじゃないかと、ちょっとした社会風刺みたいな感じもある気がしたりします。今後もいろいろと作品が読みたいなと思う次第。


今はこれと平行して『天を衝く』という小説を読んでます、主人公はなんと九戸政実、誰だそいつですよね、図書館で小説見つけた時はびっくりしました。岩手の戦国大名南部家の家臣で、秀吉に喧嘩を売った戦巧者としてかなりコアな部類に入る武将です。ただ作者は高橋克彦さんなので、非常に重厚で面白いです、信長の野望で出てくるマニアックな武将が普通にぽんぽん出てくるのでまた書評したいと思っています。