ライブ・ア・ライブより―


昨日、田舎より帰寮する、普段は騒がしいこの寮もこの時ばかりは静かで、雷雨轟く中で本を読んだり軽く体を動かしたり電話したりして過ごす、来年ここにこうしていることはないのだと思うといろいろ思う。ラウンジでは来年東京にいる奴が少ないという話をして、入塾式や予餞会は顔を出そうと語らいあう。来年の今頃は参議院選挙に追い回されているのだろうか、寝ぼけ眼をこすって在りし日を思い出しているのだろうか、できれば社宅に帰ったらかわいい彼女が待っているような生活をしたいものだ、と思ったりもする。


表題「ライブ・ア・ライブ」は大人気のうちに(コアではあるだろうが)放映終了したアニメ「涼宮ハルヒの憂鬱」の第12話の表題だ。この作品は宇宙人やら超能力者やら未来人やらにやたらと興味を持つ唯我独尊を地でいくヒロイン「涼宮ハルヒ」が「世界を大いに盛り上げる為の涼宮ハルヒの団」略して「SOS団」を強引に文芸部室を占領して設立し、七転八倒、ちょっとおかしくて不思議な学園生活を繰り広げるという物語だ。角川スニーカー文庫から原作が出ており、アニメも小説も「キョン」という涼宮ハルヒに常に引き摺りまわされ続ける男子生徒の1人称によって小気味よく物語が語られている。


第12話はそんなSOS団の面々が迎えた文化祭での物語、涼宮ハルヒは怪我や病気で出られなくなってしまった軽音楽部の部員の代役をSOS団団員(正式には文芸部員)長門ユキとともにかってでて、講堂で見事な歌唱力を披露して喝采を浴びる。後日お礼に訪れた軽音楽部の部員達にやや困惑しながら応対する涼宮ハルヒ、昼休みにはいなくなった彼女を探してキョンが中庭にいくと彼女は空を見上げて物思いに耽っている。


彼女はいう「何かをしているって感じがした」と、普段とっぴな行動と言動でお礼をされることになれていない彼女は困惑し、また味わったことのない充実感に心地よさを感じている。


ここでふと自分に重ねて思い出したのは塾祭のことだ。


春休み他のことに目もくれず一心不乱に脚本に向かい、本番までほとんど徹夜の連続で準備をした。つらかったし泣き言ばかり言っていたが、確かに涼宮ハルヒが感じた「何かをしている」実感があった。脚本を書き直した回数は20数回に及び、当初始まったばかりのゼミの授業は上の空で、初の懇親会も終わったら駆けつける塾祭のことばかり、戻った時皆が待っていたのを見て、また喧嘩をしながら朝日を見て、疲れきった体でコーヒーを飲みながら、本番への最後の詰めを考える、当日足りないものを見つけて駆け出す、緊張も幕の中で円陣を組む、何でこんなことをやるのか意味がないのでは気楽にやろう手を抜けそんなことを考えながら自分の体は今しかない「何かをしている」充実感を知っている。


恐れは社会人になるとそれがなくなってしまうんじゃないかということ、仕事だからとか忙しいからとかで、こんなことやろう、それいいな、こうすればいいじゃないか、よし、そういう「何かをしている」ことを感じることなく、ただ無為に「何かをさせられている」と感じて不満を持って生きるようになるのではないか、と。


だから今やれることをやりたいと思う、今「何かをしている」実感をより感じることができれば、それは死ぬまで感じ続けることができる。ちょっとずれるが三国志の英雄曹操の詩にこういうくだりがある。


烈士暮年壮心不已(れっしぼねんそうしんやまず)


志を持った人間はいつまでもその志を持った頃に激しい思いを失わない、そんな意味であったと思う。常に「何かをししている」ことを感じて、挑戦する思いを持っていこうと思う。たかだかアニメ、されど時にそのセリフに大きな思いが湧いてきて、生きる力になる。


涼宮ハルヒが感じた奇妙な充実感と、妙に綺麗に晴れた空を、いつまでも見ていたいのだと思う。