『ひかりをすくう』を探しつつ―私的本屋論


橋本紡氏の作品である「ひかりをすくう」が明日発売となる、ハードカバーなので高い、痛いけれども買いたいから買う、理由なく買いたい本があるっていうのは幸せである。しかも発売日を指折り数えながら買う作品なんてなかなかないので嬉しい限りである、明日が楽しみだ。


「リバース・エンド」から「半分の月がのぼる空」に至る間の半自伝的な小説であるという、自伝というのが少しうさんくさいな、と正直思ってしまった。どう冷静に書いても、自伝っていうものは本人の主観がどこかでむき出しになるような気がして、何で自伝なんだろう、と首をかしげてしまった。それでも橋本さんの作品は大好きなのでぜひ読んでみたいと思う、ちなみに「1日早く売っているかも!」と三軒ほど本屋をはしごする、売っていない、発売日をしっかと守るのは東京の本屋の悪いところである、1日ぐらい早く売ってくれたっていいじゃん、と思う。


うら寂しい長島駅を降りて30秒ほどのところにある地元の本屋「岩間書店」はマガジンが1日早く売っていた、店主のおっちゃんは東京の大学にいっていたようで大学受験の時期は本を買う際に結構いろいろなことをよくしゃべった、昔は東京に行くには夜行列車で、下宿はぼっこくて賄いつきで、そんな他愛もない話だ。夜の9時ぐらいまであいていて、陸上の練習をして変えるのは8時ぐらいだった自分にはとても都合のよい店だった、ちょっとしたスペースで売っている駄菓子もなんだかいい味を出していたのを覚えている。ちなみにエロ本を買うときは無言で応対してくれる、男心がわかっているナイスなおっちゃんである。


本屋にも適正な大きさがある、大きな本屋はダメだ、小さくしろ、というのではない。自分のようにあてもなく本屋にいくのが趣味な人間は、お店の方にお任せ、という選択肢が存在する。大きな書店だと、ある程度話題の本は平積みにされていてどれが「特にオススメ」なのかがいまいちわからない、ランキングもあるが、売れ行きであって本を売っているの人の「これは面白い」というインスピレーションとはまったく違うものである。ある程度の大きさの店であればどの本を並べるかは店員の裁量になる、店員が売れてほしいと思った本やこれが面白いと感じた本を買って、自分も面白いと感じると、仲間ができるようでひどく面白い。映画が好きな人が、映画館へ足しげく通ってなんでも見るように自分は本屋に足しげく通ってなんでも読んでみる。大きな本屋は見る分には楽しいが出会いを探すには、メニューが多すぎるレストランのようで、どうすればいいのか迷う。


神保町にあるような個性的な本屋は消えてほしくないものだ、売れる本ではなく店主の好きな本屋、読んでほしいと思う本を売ってくれる店ができるだけ多く残ってほしい。本屋は安易に「売れる本」を売るのではなくて「売りたい本」を売ってほしいものだと思う。