「問い直す勇気」と「恐れ」


決戦を水曜日に控え、猛る思いと恐れが同居する―


それはいつでも考えていた「記者」で生きていけるのかってことだ、無論やるからには生きていけると思うが常に不安は交錯する、自分はやっていけるのか、もっとまったりしてもいいんじゃないか、そこまで走る必要はないんじゃないか―「不安」は時に理由なき「恐れ」に変化する。


自分の抱いてる「恐れ」とはなんだろうか、記者として生活していけるのか、そりゃ俺だって人並みの人間だから、結婚とか記者だったら大変だろうな、恋愛苦手だから記者なんかなったらヤバイな、とか、過労死上等の世界だから、自分は思いつめる性格だから過労死しねえだろうか、とか、心配してもどうしようもないことをブツクサブツクサ考えている。表では「記者一本よ、やったるめえ」なんて叫んでいるが、不安で不安で怯えている自分がいる。


しかしその不安が恐れに変わった瞬間と向き合えたことを「幸せ」と感じる。


もしあの4月、エブリディ新聞に受かっていたらそりゃ嬉しかったろうけども、こんな恐れと向き合う機会はなかったのだ、正直辛い、内定が出て当たり前なんて言われているご時世だ、いっぱいいっぱいなのは事実、マイペースを装いながら、他人の視線と言葉にふと湧き上がるような「恐怖」を感じてしまう。


ただそれと戦ったことも糧になろう、自分自身を「問い直した」この瞬間に勇気を持つ。


恥ずかしい言葉を並べてばかりいるのだが、今の気分を素直に吐露するとこんな感じ、記者になることはモーレツに怖い、そこまで考える必要はないのかもしれないけれど、何事も正面から向かい合って、やりがいや、何かの役に立ちたいが為に厳しい道を行ってみようと思う自分と、22にして人並みの幸せなんていうものを手に入れられないんじゃないかと恐れを抱く小心な自分と、すべてひっくるめて自分なのだが、これと向き合わなくてはいけない。


夏を前にして苦しい戦いが迫られている。


されど決戦は28日、全身全霊を叩き込む。